羊毛フェルトの柴犬を制作、いっしょに京都へ

こんにちは。 
半年ぶりのHPの更新です。

いろいろ用事があり、なかなか制作ができませんでした。

この間を一作品集中期間と割り切って、このリアルな柴犬とゆっくり付き合っていました。

崩したお座り姿と、可愛い笑顔にチャレンジしてみました。

この前のめりのお座りポーズをなんと呼ぶのでしょう。 

今回、いつもの私の「完成」を一歩超えるのを目標に、微細な足し引きをして

どこまでやれば納得できるか、作品の中の自分探しのようなことをやってみました。

手を入れようと思えばキリがなく・・
やりすぎは危険・・・
修正を繰り返し、手を止めようと思えたポイントで終了!としました。

それはどこかというと、”こんな笑顔の柴犬がいるよね” ”この子はこういう子だよね”という空気感が出た時。 

インスタに大まかな制作過程のアップをしています。

そして、先月京都の北山で画像撮影しようと、この柴ちゃんを連れてドライブしてきました。

しょうざんリゾートの宿泊先ホテル鷹峯の後ろの苔むした日本庭園と、近くの金閣寺で撮影。

空いた日本庭園は貸切状態で、
何十年ぶりの金閣寺は、海外旅行者で混んでいましたが、進んで行けば空いたスペースがあり撮影できました。

嬉しそうな顔に私もつられます。

動物作品は外に連れ出すと、いつもとは違う表情を見せてくれます。
まるで私の手を離れて、自分の命を持って動き出すよう。

生きていれば、感情が揺れることが起きます。
良いこともそうでないことも。

でも最近、その揺れ方は少し変わってきたような気がします。

というよりも、感情の波にそのまま飲み込まれないように
少し引いたところから見る自分もいる感じです。
俯瞰とまではいかないけれど、自然と客観視しているような。

年齢のせいかもしれないし、
これまでの経験かもしれません。

でも、これは羊毛フェルト制作の影響もあるのかな、とも思っています。

細部を整えながら、全体を見る。
近づいたり、離れたりしながら、少しずつ形にしていく。

細部は大事だけど、それだけではなくて
全体の調和があってこそ作品になる。
でも、その細部があるからこそ全体ができる。

木も森も両方見ないと、本質は見えない。

部分と全体との行き来を繰り返しているうちに、
その感覚は、日々の物事の見方にもつながっているのかな。そうだといいな。

そんなことをふと思う、今日この頃。

更新スピードは落ちていますが、たまにこのHPを覗いってやって下さったら嬉しいです。

細々頑張ります。

2026年

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